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◆ポナペ島に今日残るタブーのなかで
「エニ」とか「アニ」と呼ばれているも
のは、“人に語れば必ず死す”と言わ
れていて、この神の祟りを信じる口伝
の伝承者は、遺跡の全貌を明かそう
とはしない・・・・・・
1968年、アメリカの統治下にあり自
由な出入りも出来なかった時代。島に
はまだ、伝統的な風習と戒律、そして
正しい伝承が残っていた。
Nan-Moadol-En-Ihmw ナン=マタラニウム(⇒ナン=マタール)
Nan は “〜の中”とか“場所”を表し、Moadol とは “間”という意味らしい。
そして、Ihmw は “家”ということだから、Nan-Moadol は“家がたくさんある所”
という意味だと、大酋長の甥にあたる伝承者マサオ=ハドレイは説明してくれた。
マサオ=ハドレイの父は、先代の“ナンマルキ(大酋長)”
で、現在(1968年当時)のナンマルキの兄さんにあたる。
つまり、大酋長の直系というわけだが、ポナペ島は母系
が強い社会なので、子供であっても、すぐに、ナンマルキ
を継ぐことはできない、しきたりになっている。
日本統治時代には、駐在所の巡警(警察官)を勤めた。
マサオ氏から聞き取りをする白井
マサオさんは、1916年に大酋長モーゼス=ハドレイの12人兄弟の次男として生まれたが、当時
ミクロネシアは、日本の統治下にあり、6歳の時からマタラニウム公学校に学び、補習科とオア
神学校を含めて通算8年間、日本の教育を受けた。・・・ 彼がナン=マタールに関係するように
なったのは、11歳の時からという。
当時ナンマタールの秘密を受け継いでいた祖父ルーエレンは、休みの日にマサオさんを広大
な遺跡に連れ出しては、口伝と実地とを照らし合わせながら教育したのである。・・・そしてかれは、現代における唯一人の、そして最後の、謎の口伝を受け継いだ伝承者になったのである。
◆「ナン=マタール」一説には「ナン=マドール」とも呼ばれるが、これは、Nan-Moadol の英語読みで、ポナペでは、D のことを T と発音するので「ナン=マタール」と呼ぶ方が正しい。 世界でも特筆すべき原始建築の一つだとされている。
サンゴ礁の浅瀬に築かれた遺跡の幅は、岸から478m で、長さは1196m であった。つまり、57万u(17万5000坪)で、ゴルフ場が二つほど入るくらいの面積である。
◆私が初めてポナペ島にやってきたのは、昭和43年の2月だった。
当時、ミクロネシアはアメリカの信託政府の厳しい管理下にあって、日本人はだれ一人として自由に島々を回ることはできなかった。特別の入域許可証を入手しない限り、 アメリカは日本人が再び南洋諸島で勢力を伸ばすことを極度に恐れているように受け取れた。
ポナペ島の南東25キロ、首都コロニアからモーターボートでおよそ2時間の所に、小さな、タモン島という小島がある。この島の外側に広がるサンゴ礁の浅瀬に、大小89にものぼる人工島が築かれている。水深1〜2mの海底から、直径50cmくらいの細長い柱状玄武岩を縦横に並べ、区画された内側に、サンゴ岩を敷きつめてつくりあげられた人工島である。 火山の爆発で噴出したマグマが、ゆっくり冷えてできた柱状玄武岩を利用している。
ポナペ島は、いうまでもなく火山島であるため、島のあちこちに柱状玄武岩が見られるが、島民たちは、こういったことにはたいして興味がないらしい。
「どうして石を運んだのだろう?」私の質問に、マサオさんは答える。
「呪いですよ。オロシパが呪文を唱えると、石は空を飛んだのです。そして決められ
た場所に落ちるのです。」・・・・・・
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「呪いの遺跡 ナン=マタール」・・・順次公開予定です
≫次へ 〔大酋長(ナンマルキ)来日〕
2005年9月刊行! ≫『呪いの遺跡 ナン=マタール』≫ 新刊
前著で記述されなかった、新たな記録も記載。さらに詳しくナン=マタールの謎に迫る内容です。
唯一の書といえます。
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